農薬(化学合成農薬)について

私が化学合成農薬を使用しない理由

農薬(化学合成農薬)について

※農薬取締法では化学合成農薬は農薬の一部であり、農薬そのものではないことになっていますが、今回のコラムでは特に言及していない場合は「農薬」=「化学合成農薬」という意味で書いています。

  • 正しく運用されている限りにおいて危険性は限りなくゼロに近いけれど、使わなくても良いなら使わない方が良い
  • 農薬のような異物に対して嫌悪感を感じることができる、その感性を大切にしたい

…というのが私の農薬に対する考え方です。

法律では

農薬取締法という法律では殺虫剤や殺菌剤、除草剤の他に植物成長調整剤や天敵なども農薬として定められています。有機JASでは原則として化学合成農薬の使用は禁止、重曹・食酢・身近な天敵は特定農薬として使用が認められています。

農薬の安全性(危険性)

農薬の安全性について考える時は必ず、消費者にとっての安全性と生産者にとっての安全性に分けて考えなくてはいけません。

消費者にとっての安全性

消費者の立場で農薬の安全性を考える場合、その基準とされるのが残留農薬です。残留農薬の基準は「人が一生涯にわたり摂取しても健康上のリスクがない」量を算出したものです。現在の農薬は有機農業運動が起こった1970年代以前のものと比べると、毒性や残留性などが遥かに少なく、基準値以下の残留農薬のある食品を摂取したからといって身体に異変が起こることはまずあり得ません。

ですが、どんなに安全性を示されても、私たちが農薬に対して少なからず拒否反応を示すのは、たとえ微量であっても、本来は必要のない物質を体内に取り込むことへの「気持ち悪さ」を感じるからではないでしょうか。

また、農薬の安全性をことさら大きな声で主張する人たちには違和感を覚えます。

確かに残留性、蓄積による危険性、複合汚染※注の問題は命を脅かすレベルの話しではないかもしれません。私も残留農薬が長年蓄積して健康を害するという考えはおかしいと思います。ただし、毒性のある物質が体内に入ってくれば、解毒作用が働くのではないかなと思います。アルコールを大量に摂取している人が、そうでない人よりも肝臓にかかる負担が大きいように、農薬自体が蓄積はしなくとも、1回1回の臓器にかかる負担は小さくても、長年の負担の総回数を考えたら結構馬鹿にならない数値になったりしないのでしょうか(これは素人考えですが)。

※複合汚染:残留農薬の安全に関する試験は該当する1種類の農薬についてのみが行われる。しかし、実際の現場では複数の農薬を混ぜて使用することの方が多く、複数の農薬が同時に使用された場合の危険性については全ての組み合わせを試すことが実質不可能であるために行われていない。農薬反対派の人たちはこの点について指摘する。

あと、化学合成された農薬よりも危険な物質が自然界には存在するという主張については、ちょっと議論のすり替えかなと思います。確かに、食塩などは身近にある毒であるという見方はできますし、それについては異論はありません。塩分の多い食事、糖分の多い食事、油分の多い食事をしていれば、残留農薬云々よりも先に健康被害が出るのは明らかです。まず、そういう食事を節制してから、残留農薬の危険性を議論せよという主張には一理ありますが。

また、某○○省が認可しているからという理由で安全性を主張するケースもありますが、薬害エイズの一件を持ち出すまでもなく、役所が認めたから安全だという理屈は通りません。残留農薬の安全基準値も国によってバラツキがあるのは、政治や利権の絡みによって基準値の水準が上下する何よりの物証でしょう。そもそも、絶対的な安全基準が存在するのであれば、国によって基準値に差があることなどないはずです。更に言えば、現在の安全基準が未来永劫その数値である保証は何処にもありません。過去に於ける安全基準が、新たな科学上の発見によって否定された例は枚挙にいとまがないでしょう。

生産者にとっての安全性

農薬の持つ危険度では消費者より生産者の方が明らかに上です。

消費者に農産物が届けられる時点では、農薬はほぼ分解されているか、安全性に問題の無い数値(ということになっています)まで下げられた状態になっていますが、農薬を散布する生産者はそういうわけにはいきません。

何千倍まで薄めなくてはいけない農薬の原液を扱う訳ですから、一歩間違えば死に至ります。研究機関で扱っている最新の農薬は安全かもしれませんが、現場ではクロロピクリンなど、まだまだ危険な農薬も使われています。希釈にしても、現場では黄色い大きなタンクに大体の量の水を入れ、大体の量の農薬を投入して棒でぐるぐると混ぜ合わせる、大雑把なやり方をしていたりします。

農薬の問題点

耐性を持った害虫・有害菌・雑草を生み出す

農薬を散布しても全ての害虫や有害菌が死滅する訳ではありません。散布された農薬に対して抵抗力のある害虫や有害菌「のみ」が生き残り、増殖します。これらの耐性を持った虫や菌に対して有効な農薬が無い場合は、新薬の開発との「いたちごっこ」になります。

畑の生態系を破壊する

クロロピクリン等による土壌消毒を行うと、畑の中の生物(有害なものだけではなくミミズや有用微生物群も全て)は一度ほぼ死滅します。ガスが切れてから数週間すると、徐々に微生物などが活動し始めますが、決して元の生態系が再現される訳ではありません。バランスの崩れた土壌は病害虫の発生を助長します。その病害虫を抑えるためにまた農薬を散布するといった悪循環が続いてしまうのです。

私が農薬を使用しない理由

理由1

私が農薬を使用しない理由は、3つあります。

1つ目は農薬がイヤだからです。それだけです。決して農薬が危険だからではないのです。ハイっ、ここ重要!

つまり、私が農薬を使用しない理由は、感情的な理由です。くどいようですが、私は学者ではありません。なので、残留農薬が何ppm(ppb)以下だから安全だと言われても、全然ピンとこないのです。ピンとこないから信じることもできません。o(*≧O≦)ゝ

私が農薬をイヤになった理由は、小さい頃の経験に起因していると自己分析しています。

当時、私の実家の周りは近所の家数軒を除いて、ほぼ水田しかありませんでした。田植えが終わってから稲刈りが始まるまでの時期は、夕方学校から帰った頃にサイレンが鳴るのです。そのサイレンが鳴ると、ウチも周りの家も一斉に洗濯物を取り込んで、窓という窓を全部閉めます。しばらくすると、水田での農薬散布が始まります。窓の外を見ると農薬の白い煙が通り過ぎて行きます。今思えば、すごい光景でした。

農薬散布が終わってからしばらくすると、外で遊ぶことが許可されます。もう(農薬の)白い煙はおさまっているのですが、臭いだけはいつまでも残っているのです。私はその臭いが大嫌いでした。あれからウン十年も経って、農薬の臭いなどすっかり忘れていたのですが、熊本の農場での研修期間、農薬散布の手伝いをした時に、忘れていたあのイヤな臭いをかいでしまい、子供の頃の記憶がよみがえってしまいました。

ともかく、この理由に関しては感情が全てですので、どんなに理論で説得してこられても頭ではともかく、心が農薬というものを拒否してしまうのです。

理由2

2つめは、きちんとした土作りができていれば、そもそも農薬を使用する必要がないということを体験したからです。

有機栽培というのは、普通栽培以上に生産者の技術レベルが顕著に出ます。特に、きちんとした土作りをしている生産者(いわゆる、神?^^;)の圃場では、農薬など使用しなくても病気や害虫がほとんど発生しません。逆に言えば、病気や害虫被害が発生するということは、まだまだ土作りが未熟(今の私がまさにこれ)、あるいは土作りの方向性が間違っているということです。

私は病気や害虫に対して農薬という短絡的な解決手段を取るのではなく、時間をかけてきちんと土作りをすることで農薬など必要のないレベルまで農業技術を磨きたいと考えています。これが2つめの理由です。

理由3

3つ目は農薬(除草剤)と遺伝子組み換え作物によるモンサント・ビジネスモデルへの警戒です。このモンサント社の世界戦略に関しては、長くなるので別のコラムで詳細を書きたいと思います。

2010.12.17